大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(う)1536号 判決

被告人 中山重雄

〔抄 録〕

検察官の所論は、原判決が、「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三十八年八月三十日午前二時三十分頃、普通乗用自動車を運転し、東京都武蔵野市吉祥寺東町一の十三の二番地先の交通整理の行われていない交差点を西荻窪方面から吉祥寺八幡通り方面に向い直進するに際し、前記交差点の左右の見とおしが困難であつたのに、一時停止または徐行し左右道路の交通安全を確認すべき注意義務を怠り、時速約三十八キロメートルで同交差点に進入した過失により、左方道路から進行して来た関谷春男(当三十九年)運転の普通乗用自動車に自車左前部を衝突させ、よつて同人に対し加療約一週間を要する左肘関節打撲などの傷害、乗客山口幸男(当二十四年)に対し加療約一週間を要する前頭部打撲などの傷害、久保信子(当二十二年)に対し加療約十日間を要する前頭部挫創などの傷害を負わせたものである。」という本件公訴事実に対し、本件事故が被告人の業務上の過失に起因するものとは認め難いとして無罪を宣告したのは、刑法第二百十一条にいう「業務上必要な注意」の限界と証拠の価値についての判断を誤り、罪となるべき事実を誤認したものであり、原判決は(一)被告人が本件交差点に進入するに際し、徐行義務を怠つたという過失を看過しており、且つ(二)相手方の過失との関係における業務上過失責任の判断を誤つているが故に、破棄を免れないというのであり、これに対する弁護人の答弁の要旨は、本件交差点が交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないものに該当するとしても、被告人に徐行義務違反の事実はない、被告人が検察官主張の如く本件交差点で時速約三十八キロメートルの高速を出していた事実はなく、(被告人が時速約三十八キロメートルを出していたとの証拠は、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書以外に何物もないから、そのように認定することは、被告人の自白を唯一の証拠としてはならないという刑事訴訟法、憲法の精神に反し許されない。)本件における被告人の速度は、約二十三キロメートルから最高三十キロメートルまでの間であり、その速度は被告人が徐行をしていたことを物語るものであり、本件事故は関谷の一方的過失によつて発生したのである。すなわち、本件において関谷の進行方向においては、交差点で一時停止の義務が課せられており同人はそれを知つていたし、且つ被告人進行の道路は関口進行の道路より広く優先権があつたのに、関谷は一時停止をしないで暴走したのであり、若し同人が一時停止をしていたなら本件事故は起らなかつたのであるというのである。

よつて按ずるに、原判決が前記公訴事実につき、被告人が進行していた道路(甲道路)は関谷が進行していた道路(乙道路)に優先して進行し得る道路であることが明らかであるから、被告人が直進するに際し、交差点の左右見透しが困難であつたとしても、交差点毎に徐行しなければならないとは認め難い、かかる道路において被告人に対し通行規制を無視して暴走する車輛に対してまで注意して安全措置を講ずることを期待することは一般常人の注意義務を超えるものといわなければならない。本件事故は乙道路を進行した関谷の不注意に帰すべきものであつて、被告人の所為に過失はないと認めるのを相当とするという理由によつて、被告人に無罪を宣告したことは原判決記載のとおりである。

しかしながら、原審及び当審における検証調書の記載によれば、被告人の当時進行していた甲道路と乙道路の交錯する問題の交差点は、交通整理の行われていない交差点であり、被告人の進路よりする左右の見とおしがきかないことが認められるから、道路交通法第四十二条の定めるところにより、被告人としては徐行しなければならないことは明らかであるといわなければならない。しかるに、被告人の司法巡査に対する供述調書、同検察官に対する供述調書、関谷春男の検察官に対する供述調書の記載によると、被告人のこの交差点進入時の速度は、少くとも時速三十八粁位であつたと認められるのみならず、当審における鑑定人大久保柔彦の鑑定の結果によつても、それは約四十粁であつたと推定されるから、道路交通法第二条に定められている「徐行とは車両等が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう。」とある趣旨に適合しないものであるし、且つ、被告人も検察官に対し「一時標識のあることを知つていたので徐行をしなかつた」と述べている位であるから、被告人が徐行をしなかつたことは明らかであるといわなければならない。

一方、関谷春男が進行して来た乙道路には、交差点において一時停止の標識があることは、原判決も認めるとおりであるが、右道路交通法第四十二条において交差点の徐行義務を定めたのは、交通整理の行われていない、左右の見とおしのきかない交差点においては、出会頭の衝突事故なども多いから、たとえ進行方向と交わる左右の道路に、交差点における一時停止の標識が存在する場合でも、矢張り徐行義務を免除すべきではないという趣旨と解すべきであり、それは車輛だけではなく歩行者を対象とする規定であると解すべきこともまた明らかである。そこで、本件においては被告人が徐行をしなかつたことが原因となつて本件事故が起つたと認められれば、被告人に業務上過失の責任が生ずるというべきことになるわけであるが、原判決は甲道路は乙道路に比し輻員が広く、甲道路の車両は乙道路の車両に優先して進行し得るのであるから、交差点の左右見とおしが困難であつても、被告人には徐行義務がないとしているのであるが、この点もまた右道路交通法第四十二条の法意にもとるものであるといわなければならず、本件においては甲道路の幅員七、三米、乙道路の幅員五米と道路に広狭の差があることは事実であるが、それによつて交差点における徐行の義務を免除するものでない理由は、やはり前段認定の乙道路に一時停止の標識があつても被告人の徐行義務を免除すべきではない場合のそれと同断であるというべきである。

而して、記録並びに当審における事実取調の結果によれば、本件においては被告人が本件交差点において徐行をせず、左方道路より交差点に入ろうとする関谷春男運転の自動車の光芒を認めながら、時速少くとも三十八粁という速度で交差点を突破しようとした過失と、関谷春男が自分の進行路上に一時停止の標識があるのを無視し、停止しないで時速十五ないし二十粁の速度で右折のため交差点に進入した過失とが競合して事故が発生したものと認むべきで、被告人も関谷も共に業務上過失傷害の罪責を負うべきであり、若し被告人が二十粁程度の速度で徐行をしていたならば、相手方の光芒を認めたときに直ちに停止の措置をとることにより、僅々十米以内で停車することができ衝突を回避し得たと認むべく、仮に衝突を回避し得なかつたとしても、人身事故には至らないですんだであろうと認められるのであり、ひつきよう、本件事故の原因にはやはり被告人の徐行をしなかつたことを数えるべきであるといわなければならない。固より被告人の過失の程度、態様は関谷のそれに比し軽いということは断言できるし、その故に関谷に対しては既に罰金二万円の刑が確定しているのに対し、検察官は被告人に対し原審において罰金七千円の求刑をするに止め、両者の罪責に軽重の差のあることを明らかにしていると観察される次第であるが、当裁判所としても被告人に全然事故の罪責を問わないというのは相当ではないと認めるのである。果して然らば、原判決には法令の解釈を誤り、注意義務の認定を誤つた違法があるというべきであるから、検察官の所論は理由があるといわなければならない。

(久永 井波 宮後)

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